親に期待しすぎない_1
この世に完璧な人間はいない。
自分自身が不完全な人間のように親も不完全な人間だ。
その事をやっと実感として腹落ちさせられたのは20代後半…
もっと早く納得できていれば良かったのだけれど、ずっと親への評価が厳しかった。
理想の親でいて欲しいと心のどこかでいつも思っていて、失望することがとても多かった。
軽く結論から言うと親に寛容になることで自分も楽になれる。
学生時代の忘れられないエピソードがる。
「女の人は新しいモノは生み出せない」
ファッションデザイナーを目指して専門学校に通う私に、父はそう言い放った。
夕食を食べていた私は急に味を感じなくなる。
なにを言っているんだろう、この人は?
ココ・シャネルもジャンヌ・ランバンも川久保玲も…女性デザイナーはたくさんいるし、これまでは男性社会で女性の創作活動を妨害していたのは他でもない男性じゃないか。
それに、娘の夢を否定するようなことをわざわざ言うとはどうゆう神経だろう?
そんな思いが一気に溢れてきて頭に血が上る。
頭に血が上っているので口からでる言葉たちは支離滅裂で、全く父には届かない。
いや、普段から私の声は彼には届かない。
彼は常に違うところにいて、私の言葉はまるで外国語かのように、聞き流されるか、理解されず否定されるのだ。
私の悲しい気持ちや心の傷つきは微塵も伝わらない。
でも、この人はどうして解ってくれないのだ、と思いながらも、私はいつも自分を否定し責めてきた。
私はいつも彼の目を通して自分を見ていた。
なんて私はダメなんだ、どうして皆ができることができない?
そうして、実際どんどんダメになっていく。
私はいつ心穏やかに過ごせるのだろうか。
人は人の育て方を知らずに親になる。
以前、家の庭で野良猫が子どもを産んだ。
隣の家に住んでいた母親と娘が可愛い可愛いといって何の知識もないのに、産まれて間もない子猫を1匹家に連れ帰った。
間も無く子猫は死んだ。
猫の子どもは産まれてしばらくは、親もとで母乳から抗体を貰ったり、兄弟たちと猫同士のコミュニケーションを学ぶことが必要だったのだ。
それに猫の飼育の知識も十分でないことも加わり、当然の結果として子猫は死んだ。
もちろん野良猫の子どもだからもとからある程度身体が弱かったのかもしれない。
でも、そのエピソードは小学2年生だった私の胸に深く刻まれた。
無知はとんでもない結果をもたらす。