元引きこもりの宇宙論

生きるのが辛くて仕方なかった10年前の自分へのメッセージ。

親に期待しすぎない_2

私は感受性が強く傷つきやすい。
共感、繋がりを求めていたのに、それが親から与えられることは1度としてなかった。


経済的にも典型的な中流家庭で、両親ともクリスチャン、身体的な虐待を受けたことはない。
一見何の問題もない家庭。
そこで私は引きこもりになった。
こんなに恵まれているのに毎日毎日辛い気分なのは自分が悪いのだとずっとずっと自分を責めてきた。


けれど子猫が死んだように、
引き取った親子に悪意はなくむしろ愛情だったのだとしても、子猫の状況に注意を向けて、何が必要か見極められなければ結果は酷いものになる。


長くなってしまったけれど、私は最初自分を責め、それから親の不完全さのせいにし、今は自分自身の足で立つことを覚え自分の人生を立て直している。


ありきたりな言葉、”他人は変えられないけれど、自分は変えられる”これが遠そうに見えていちばんの近道だ。
私は親に分かってもらおうと、何年も、そう10年以上の時間をかけて親にあらゆる方法でコンタクトしてきた。


壁を殴って穴を開けたり、クローゼットの扉を蹴り飛ばしたこともある…
冷静に語りかけたり、涙を流しながら感情のまま訴えたこともある。
でも、何をしても1ミクロンも彼らには届かなかった。
その代わり彼らは私に平和が訪れるよう神様にお祈りしていた。
神様に頼まず自分たちが努力をしてくれ…と思ったけれど、彼らにはそれが最善の方法だったのだ。
私を食べさせ学校に行かせてくれて、お祈りする。
彼らは自分たちにできることをやっている、無力で不完全で感謝すべき人間だった。


自分の勝手な”理想の親”の偶像を捨て本当の姿がみえたとき、私は自分自身で、自分の心に寄り添い、自分の望みに耳を傾け、努力を労い、褒めてあげることが必要なんだと初めて理解した。


親が与えてくれなかったものを全て、自分で自分に与えてあげる必要があった。
全てが理想通り思い通りなんてことはそもそもあり得ない。
親もひとりの人間だ。
環境や他人や状況を受けて、自分がどう捉えどう感じどう行動するかが全てだ。
人生を厳しく感じるけれど、逆に思い通りにすることも可能なのだ。
自分自身で自分を大切にしてあげることで私は救われる。


この自分の救済には時間がかかる。
自分や親を憎んだ時間が長い分だけ、救済の時間も長くなると思う。
長い時間かけて培われた経験や感情や考え方を上書きしていく作業。
最初はひとりでやらなければいけない孤独な作業に寂しさが込み上げて涙がでたり、また怒りが生まれることもあった。


でも根気よく続けなければいけない。
すぐには変えられないけれど、着実に変わるのだ。
今も課題は現れるけれど、私には根気よく”きみはどこから来たの?何をして欲しいの?”と寄り添って丁寧に対処してあげる方法が分かってきている。
着実に心の平安は訪れている。
人生の楽しさ不思議さを日々実感している。


私は無宗教だけれど神様と呼ばれる存在を信じている。
神様は私たちに退屈する暇を与えない。
私たちに受け取る準備ができたら、全てが流れはじめる。

 

親に期待しすぎない_1

この世に完璧な人間はいない。

自分自身が不完全な人間のように親も不完全な人間だ。
その事をやっと実感として腹落ちさせられたのは20代後半…

 

もっと早く納得できていれば良かったのだけれど、ずっと親への評価が厳しかった。
理想の親でいて欲しいと心のどこかでいつも思っていて、失望することがとても多かった。
軽く結論から言うと親に寛容になることで自分も楽になれる。

 

学生時代の忘れられないエピソードがる。
「女の人は新しいモノは生み出せない」
ファッションデザイナーを目指して専門学校に通う私に、父はそう言い放った。
夕食を食べていた私は急に味を感じなくなる。


なにを言っているんだろう、この人は?
ココ・シャネルもジャンヌ・ランバンも川久保玲も…女性デザイナーはたくさんいるし、これまでは男性社会で女性の創作活動を妨害していたのは他でもない男性じゃないか。


それに、娘の夢を否定するようなことをわざわざ言うとはどうゆう神経だろう?
そんな思いが一気に溢れてきて頭に血が上る。

 

頭に血が上っているので口からでる言葉たちは支離滅裂で、全く父には届かない。
いや、普段から私の声は彼には届かない。
彼は常に違うところにいて、私の言葉はまるで外国語かのように、聞き流されるか、理解されず否定されるのだ。
私の悲しい気持ちや心の傷つきは微塵も伝わらない。

 

でも、この人はどうして解ってくれないのだ、と思いながらも、私はいつも自分を否定し責めてきた。
私はいつも彼の目を通して自分を見ていた。
なんて私はダメなんだ、どうして皆ができることができない?
そうして、実際どんどんダメになっていく。
私はいつ心穏やかに過ごせるのだろうか。

 

人は人の育て方を知らずに親になる。
以前、家の庭で野良猫が子どもを産んだ。
隣の家に住んでいた母親と娘が可愛い可愛いといって何の知識もないのに、産まれて間もない子猫を1匹家に連れ帰った。
間も無く子猫は死んだ。
猫の子どもは産まれてしばらくは、親もとで母乳から抗体を貰ったり、兄弟たちと猫同士のコミュニケーションを学ぶことが必要だったのだ。
それに猫の飼育の知識も十分でないことも加わり、当然の結果として子猫は死んだ。
もちろん野良猫の子どもだからもとからある程度身体が弱かったのかもしれない。
でも、そのエピソードは小学2年生だった私の胸に深く刻まれた。

 

無知はとんでもない結果をもたらす。

 

 

人生はマラソンじゃない。

私は高校時代、人生をマラソンのようだと感じていた。

走り続けないと失格になってしまう。
走りたくもないのに気づいたら走っていて、でも走り方がわからない。
周りはきれいなフォームでどんどん先に行ってしまう。
なぜみんな走り方を知っているんだろう?
なぜ私だけ知らない?
止まったら失格だ。
焦り、不安、自己嫌悪。

 

結局、専門学校までをぎりぎり、無理矢理、卒業して就活もせず引きこもり、走るのをやめてしまった。
止まってしまった。
失格者だ・・・

 

けれど、私はずっとこうしたかった。

 

そもそも止まったら失格なんて勝手な思い込みでこの世にルールなんてひとつもない。
法律はあっても、極論破るのも自由だ。
この世をどうやって生きるかは自分次第。
ルールがあるとすれば、それをつくるのは自分自身だ。

 

とにかく辛くて立ち止まってしまったけれど、私は自分自身を発見して楽しく生きる準備をするために引きこもらなければならなかった。
いつ終わるともわからないけれど、いつかは終わりが来て、自分のペースで歩き出せるときがくるのだと、確信のようなものを感じていた。

 

ニート引きこもりというどん底と共に、とてつもない開放感が訪れた。

"普通の人間"ってどこにいる?

私には人生で心に深く刻まれた言葉がいくつかある。

それは会話の中でふと相手が言ったことや、テレビできいた言葉やさまざまだけれど、ずっと心の奥にしまわれていて事あるごとにふっと浮かび上がってくる。
普段もの忘れが激しいのに言葉って不思議だ。

 

中学生くらいの時に、9歳上の姉に言われた。
「だからさ、普通って何なわけ?」

 

話の流れは全く思い出せないけれど私が、
「普通そうでしょ!」
て言った後の姉の切り返し。
グサっ、イラっ!

 

た、確かに普通、普通って私よく言うけど、普通が何なのか答えられない。。。

 

え、普通ってなんだ??

 

ずっと私は”普通になりたい””普通に生きたい”と思っていた。
それは自分がおかしな人間だと思っていたからで、毎日遅刻ばかりしていたり、人と楽しく話せなかったり、マイナス思考で自分に自信がなかったから。
消えた方がいいダメ人間と思っていた。

 

周りの人たちを”普通の人間”とひとまとめに見ていて、そのディテールを気にもしていなかった。
私も普通に生きられたら楽なのに…

 

今ならわかる、こんな簡単なこと。
この世に”普通の人間”なんていない。
知れば知るほど多様で個性的で完全に理解することなんて不可能な人たち。

 

そもそも普通という存在しない自分が作り出した概念の偽の自分になろうとしていた。

 

自分がどんな人間かもっと知って、それを受容し(肯定するでも否定するでもなく受容)伸ばしたいところは努力して、直したい部分はやらないよう努力する。
今の自分がダメだから否定して別の人間になろうとするのでなく、自分がなりたい自分をイメージして努力することが辛くならず生きられると最近感じている。

 

全ては自分次第で変わっていく。
”楽に”生きるための選択を日々積み重ねていく。

はじめに

引きこもり期間3年間

 

青春時代は毎日が不安で辛くて死んでしまいたかった。
なにともちゃんと向き合えず生きる意味が見出せなくて消えてなくなりたかった。
専門学校卒業と同時に倒れこむように引きこもり生活突入。
25歳直前に引きこもりを卒業して、初めて人生を歩み始めた。
私はこの時が本当に自分がこの世界に誕生した瞬間だと思っている。
今年31歳になったから、まだフレッシュな6歳児のブログ。

 

今も辛くなる時もあるけれど、引きこもりに戻ることはないだろうなぁと思うし、毎日楽しいことは確実に増えている。
10年前の自分にこのことを伝えても絶対に信じてもらえないだろうと思うけど、最近10年前の自分に伝えたいことがどんどん溢れてきたので書いてみることにした。

 

狭かった私の世界は少しずつ、でも着実に広がり始めている。。。